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《原点》

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 砂煙の立つ運動場の隅に置かれた、腐りかけた木製ボードのリング。

 私のバスケットボールは、ここから始まりました。

 私の母校には体育館がありません。練習はいつも砂の上にコートラインをひく事から始まりました。運動場はボコボコで、ラインはガタガタ。練習が終わる頃には、跡形もなく消えてしまう私たちのコート。

 「そんな環境でバスケットができるの?」

 私のバスケット人生は傍から見れば決して恵まれたものではなかったのかもしれません。

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 ですが、私は自分が恵まれないと、ただの一度も感じた事がありません。むしろ、『どれだけ恵まれた環境で、今日までバスケットを続けて来られたのだろう』と思うほどです。

『恩師』との出会い

 

 私はこのコートで、4人の「恩師」に出会いました。朴良美先生,小野雅美先生,康静恵先生,李済玉先生

 バスケットを初めて私に教えて下さったのが、朴先生でした。先生の第一印象は「鬼教官」。本当にどれほど怒られたことか…。

 朴先生はことあるごとに「ユヒャン、バスケットボールは好き?」と問いかけるのでした。私はいつでも元気よく、「大好きです!」と答えました。いつもは恐い先生がその時はとてもとても嬉しそうに笑って下さいました。

 「バスケットボールが好き」という感情は、私の原点です。このとき私がバスケットを好きになっていなかったら、今日まで私はバスケットを続けて来られませんでした。

 

 もう1人の恩師、小野先生

 小野先生は千葉ハッキョの先生でないにも関わらず、毎日のように学校に通ってくださり、我が子のように指導してくださいました。私のバスケットボールの基礎を作って下さったのは、間違いなく小野先生です。

 「まだやれる!もっと走れる!」熱く指導してくださる先生の姿が、今も私の脳裏に焼き付いています。

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 私が小学生の頃、中学にはバスケ部がなく千葉ハッキョにバスケットを指導できる先生もいらっしゃいませんでした。中学バスケ部創設に伴い、新たに監督になられたのが、康先生でした。

 康先生は、吹奏楽部出身にも関わらず、一からバスケットを勉強して、私達を指導してくださったのです。その裏には、並々ならぬ苦労があったことと思います。大人になりゆく今の私には余計に、その凄さが感じられます。

 康先生と共に私達を指導して下さったのが李先生でした。李先生は、保護者という立場でありながら、仕事の合間を縫って私たちにバスケットを指導してくださいました。

 康先生,李先生とは、練習に行くにも試合に行くにも常に一緒で、それこそ実の母よりも長い時間を過ごしてくださいました。

 木製のボード,ボコボコの運動場,ガタガタのラインがひかれたコートで出会った先生,あの時間がまさに私の『原点』であり、『始まり』の場所でした。

『始まり』から『終わり』。そして『始まり』へ。

 

 その原点のコートに、バスケ人生の終わりに戻ってきました。

 

 関東大学4部リーグ準決勝。朝大バスケ部として初めて上り詰めた大舞台です。その大一番が行われた場所は、母校の目と鼻の先でした。

 バスケ人生の「終わり」に、「始まり」の場所に戻ってきたことは、運命的なものを感じました。

 会場にはアップ場がなかったので、母校でアップを行うことになりました。

 母校のコートに行くと、2人の千葉ハッキョの選手がいました。その2人を私はよく知っています。

 

 彼女たちが小学生の時、私が練習をしていると必ずといっていいほど「一緒にバスケするー!」といって駆け寄ってきて、届きもしないゴールに向かって懸命にボールを投げていたチョコメンイ(朝鮮語で、ちびっ子の意味)。

 

 そのチョコメンイも大きく成長して、ゴールにもボールも届き一緒にプレイ出来るようにもなりました。彼女たちも今年で中学バスケット最後の年を迎え、同時に千葉ハッキョの最後のバスケ部の選手になりました。

 

 わずかな時間ではありましたが彼女たちと一緒にプレイしていると、なにか当時の私を見ているようで、幼い頃に戻ったような,それでいて大人になったような不思議な感覚に包まれました。

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 肝心の試合のことは、あまりに無我夢中でよく覚えていません。ただ、不思議な感覚が私を包んで離さなかったことだけは、妙に記憶に残っています。

 劣勢で迎えた後半、私の足は限界を迎えていました。足が止まりそうになっても、誰かが背中を押してくれるような、そんな気がしました。

 今思うとそれは、私のバスケットボール人生を形作ってくれた、全ての人々の想いだったと確信しています。

 

 どんなときも力になってくれた父と母。

 

 一緒に戦ってくれたチームメイト。私を大学バスケに誘ってくれた唯一無二の存在、ハナ。

 

 私をここまで育ててくれた先生方。

 

 そして、私の最後の背中を見てくれた母校の後輩達。

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 沢山の方々への想いが、私の背中を押してくれたのだと、そう感じています。試合は無事に勝利し、私達は創部史上初となる《3部昇格》,《4部準優勝》という快挙を達成できました。

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 これまでのバスケットボール人生でここに書ききれないほどの沢山の出会いがありました。

 私のバスケットボールは、沢山の人達の愛で出来ています。心の底から、そう思っています。バスケットボールを通じて出会った全ての人々に、心からの感謝を伝えたいです。

 『정말로 고맙습니다.本当にありがとうございました。』

 

 私の選手としてのバスケット人生は終わりました。これからは新たなステージでのチャレンジが始まります。

 

 私もいつか、誰かのバスケットボールを形作るそんな『1人』になれますように…。

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